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聖書より

正月

旧約聖書から読み解く正月

旧約聖書をザクッと突っ走ります。(超特急)
アダムとエバ(イブ)との失楽園物語(中略)、ノアの方舟物語(中略)、信仰の父アブラハムの物語。
 
アブラハムの子イサク、イサクの子、ヤコブ。このヤコブが天使と取っ組み合いをして勝利します。そうして与えられた名前がイスラエル。ヤコブ(イスラエル)には12人の子供がいました。末っ子のヨハネはヤコブに溺愛されました。ところがヨハネは兄たちに恨まれ、通りかかった商隊に売られてしまうのです。ヤコブは悲しみますが、もはや探す術もありません。
 
あるときヤコブとその子供たちが住んでいる土地で飢饉が起こります。そしてヤコブの家族は豊潤なエジプトに移り住むことを決意するのです。そうしてヤコブの家族がエジプトで見たものはエジプト王、ファラオの臣相となった末っ子ヨハネの姿でした。ヨハネの功績によってヤコブの家族は高待遇で迎え入れられたのでした。
 
やがて時が過ぎ、エジプトにはヤコブ(イスラエル)の12人の子孫が増えました。エジプトの王ファラオも世代交代していったのですが、そうしていく過程のなかで、ヨハネの功績は
忘れ去られ、ヤコブ(イスラエル)の子孫を奴隷として扱う様になっていきました。
奴隷と化したイスラエルの民の苦しみは如何ばかりであったか、その祈りは神に聞かれ、エジプトにモーセ(=モーゼ、モーゼス)が生まれます。モーセもヨハネ同様エジプトの臣相となります。神はイスラエルの民を奴隷から解放するために、モーセを遣わします。あらゆる災害をエジプトに起こしファラオを揺さぶりますが、ファラオの心はかたくなままです。最後の災いとは、神がエジプトの長子(長男)を皆殺しにするという災いです。
 
神がイスラエルの民に告げられたのは「イスラエルの民には危害を及ぼさない。イスラエルの民だとわかるように、家の入口の柱と鴨居に羊の血を塗りなさい」ということです。その標し、その家には災いを及ぼさないという約束です。その家には災いが過ぎて通る。=過ぎ越しと言います。
 
神がエジプトの長子(長男)を皆殺しにする夜。寝てはいけない。起きていて神の業を見ていなさい。(大晦日)
翌朝、自らの長子(長男)を殺されたエジプトの王ファラオはついに奴隷解放を約束をするのです。
 
イスラエルの民の奴隷解放の時、これが正月なのです。
 
そして、日本にあるあらゆる言い伝えが酷似してもいるのです。
 
この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。(出エジプト記12:2)
 
紀元前1250年頃のお話です。

ユダヤ人の指導者「ニコデモ」

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ヨハネによる福音書(口語訳)  3:1~
 
------- 夜中にこそこそと会いに来るユダヤの指導者と救いの道の奥義 -------
 
パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。
 
------- イエスを擁護するユダヤの指導者 -------
 
7:41
ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。こうして、群衆の間にイエスのことで分争が生じた。
彼らのうちのある人々は、イエスを捕えようと思ったが、だれひとり手をかける者はなかった。さて、下役どもが祭司長たちやパリサイ人たちのところに帰ってきたので、彼らはその下役どもに言った、「なぜ、あの人を連れてこなかったのか」。下役どもは答えた、「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」。パリサイ人たちが彼らに答えた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。役人たちやパリサイ人たちの中で、ひとりでも彼を信じた者があっただろうか。律法をわきまえないこの群衆は、のろわれている」。
彼らの中のひとりで、以前にイエスに会いにきたことのあるニコデモが、彼らに言った、
「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう」。そして、人々はおのおの家に帰って行った。
 
------- イエスの死体を丁寧に扱うユダヤの指導者 -------
 
19:38
そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。イエスが十字架にかけられた所には、一つの園があり、そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。
 
ニコデモによる福音書というものがあるらしいが読んだことはない。
おそらくグノーシス主義の創作として扱われているかと思う。
 

Suzume

 
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なんだか可愛い。
飛ぶ鳥の喩え。
 
 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。マタイによる福音書 6章25節から34節

ノアの方舟

最近、映画「ノアの方舟」を上映していたようですね。
私は見逃してしまいました。

「本当にあった出来事なんですか?」と問われると私はYESと言います。

旧約聖書創世記の8章4節を見ると、
方舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。
と書かれています。
「ソ連とトルコの国境付近でそれらしいものを見つけた」という話題を昔聞いたことがあるのですけど、Google Map や Google Earth で探すとあるんですね。ちゃんと方舟が見れます。
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学者も99%ほぼ間違いないだろうとのことだそうです。
聖書は真実を語っています。そして今後の預言も真実でしょう。
 

ヨハネの黙示録666の正体?(個人的解釈)

牧師と一緒に川に入り、イエス・キリストの御名によって全身浸水のバプテスマ(洗礼)を受けたのが昭和五十六年(西暦1981年)のこと。

オカルト映画「オーメン」に出てくる獣(悪霊)の数字666が気になってヨハネの黙示録の13章を読んでみたが、聖書が文語約だったこともあり難解だった。

牧師に直接「666の正体とはなんなんですか?」と聞いてはみたが、「一般的にはローマの皇帝ネロだとされていますが、はっきりとは分からない」という答えだったと記憶している。
 
<ヨハネの黙示録 第13章1節~>
 
わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまのようで、その口はししの口のようであった。
 
これは旧約聖書の預言の書ダニエル書に出てくる獣と同じであり、十本の角、七つの頭はそれぞれ王や国を意味する。ダニエル書にある、しし、くま、ひょうとは、それぞれイスラエルを蹂躙する帝国であり、バビロン、メディア・ペルシャ、ギリシャ(マケドニア)であり、それぞれの特徴を含む角が十本、頭が七つある獣とはローマ帝国である
 
龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
 
龍とは古き蛇、悪魔サタンのことである。悪魔サタンはローマ帝国に悪魔の権威を与えたと解せる。
 
その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人人は驚きおそれて、その獣に従い、また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
 
頭とは王である。死ぬほどの傷を受けたとあるが、これはキリスト教迫害をしてきたローマ皇帝ネロ大帝のことと言われている。ネロ大帝は自殺したのだが、各地で復活した偽ネロの噂があったらしい。また後にキリスト教を迫害する皇帝ドミテァヌスがネロの生まれ変わりであると解釈しているところもある。
 
この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
 
皇帝ドミテァヌスは自ら「神」と称し拝ませた。聖書でいう四十二か月とは三年半であり、42ヶ月×30日=1260日である。1日は1年と数えられることから、1260年とも考えられる。これはまた別途考察する。 
 
そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威が与えられた。
 
そしてこれをドミテァヌス帝と考える。信教の自由を許しつつ、ローマ皇帝の権威を振るったに違いない。
 
地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
 
ほふられた小羊とは十字架にかかったイエス・キリストのことである。イエス・キリストの御名による水と霊のバプテスマを受けると、小羊のいのちの書にその名が記される。三位一体の名では小羊のいのちの書に記されることはない。救いが無いということであり、神の活ける印とはならないということである。
 
耳のある者は、聞くがよい。とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
 
つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。とはイエスの教えである。
つるぎで報復してはならない。だから忍耐が必要なのである。
 
わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
 
私はこの二つの角がある小羊が何か暫くわからなかったが、小羊とは生贄でありイエス・キリストである。そして角とは攻撃するための武器であり、また王でもある。他にはこういう解釈を見かけないが、このことを考えるとイエスに似た、あるいはイエスの証しをもちつつある二人の王を考えたのだ。それが東西ローマに分割された後の東の皇帝リキニウスと西の皇コンスタンティヌス1世と私は解釈した。

二人はミラノ勅令で信教の自由を認め、消極的にではあるがキリスト教を許可するのである。先の皇帝ネロやドミテァヌスからは考えられないのである。これが二つの角がある小羊である。

そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
 
東西ローマの皇帝はそれぞれ権威があったので、先の皇帝と同じような力があったが、偶像崇拝も残っていただろう。 

さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
コンスタンティヌス帝のあとにはユリアス帝というのが居た。この皇帝は再びキリスト教を迫害し、ミトラ教を取り入れ偶像崇拝を行わせた。いわゆる背教の皇帝である。
 
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、
物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
 
これも実は悩んだのだが、現代におけるバーコードの事だともマイクロチップのことだとも言われているが私は違うと考えている。この後の皇帝テオドシウス1世は北からのゲルマン民族の侵略を恐れ国内のまとまり、秩序を保つため絶対にキリスト教徒ではならないという積極的なキリスト教策をとった。民衆は必ずキリスト教徒でなくてはならなかった。
 
刻印とは本来、神の証しであり、イエス・キリストの御名によるバプテスマのことであるが、この時代の刻印はニカラ公会議で定められた三位一体の神、つまり「父と子と聖霊の御名」によるバプテスマと受霊であり、イエス・キリストのそれではなかったのである。つまりそれこそが獣の刻印であり、反キリスト、偽キリストの刻印なのである。
 
ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
 
一般に古代ユダヤの秘術カバラのゲマトリアによりネロの名前を数値化すると666となるとしている。その解釈でも良いのかもしれない。が、私はその一致性を証言出来ないが、同じようにアンチキリスト、アンチイエスのキーワードが666になるのだろうと思っている。
すなわち、ローマ皇帝、ローマ法王、教皇、ニカラ、ニカイア、三位一体、父と子と聖霊の御名など。

ネロであってもローマ法王であっても、アンチキリスト、アンチイエスという意味では大差はないということ。
その数字とは、人間をさすということなので、コンスタンティヌス帝も疑っただが、おなじゲマトリアの法則で計算しても666にはならなかった。
 
ヨハネの黙示録がかかれた時期はドミティアヌス帝の時世。キリスト教迫害の真っ只中であった。キリスト教迫害時代の出来事とキリスト教徒へ希望を持たせるための記述が多いと考えている。多いと考えているのであって、それだけではなく終末の有り様も書かれている。
13章はローマ帝国とローマ皇帝と聖徒の関わりの記述であり、666も然りである。この当時のこととして完結しているのであり666を現代のことに置き換えていたずらに恐怖心を煽るのは違うのではないかということである。むしろ、救われていない人が気にしなければならないのはハルマゲドンであり、千年王国が終わった後のゴク・マゴクの戦いであると私は考える。
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私の望みはより多くの人が、できるだけ早く、イエス・キリストの御名による全身浸礼のバプテスマを受け、洗足式を受け、聖霊を受け、小羊のいのちの書にその名が記されるようになって欲しいと思う。異邦人(ユダヤ人以外)が救われる数は限らており、その数が満つれば終わりが来るとあるゆえに。

本当に時が近いと思うからである。

知る人ぞ知る、現実世界では彼の金融王や石油王、偽ユダヤ人の動きが激しくなっているからでもある。

 

教会にグランドピアノ

教会にグランドピアノが寄贈されたとのことで、お試し弾きをさせてもらいました。

楽しいひと時でした。ハレルヤ!!
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野の花

また、なぜ着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。

働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
 
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。(マタイ:6-28~)
 
まず神の義を求めなさい。(マタイ:6-33)
 
一日の苦労はその一日だけで十分である。(マタイ:6-34)
 
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もうすぐコスモスも咲きそうです。
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