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2016年12月

正月

旧約聖書から読み解く正月

旧約聖書をザクッと突っ走ります。(超特急)
アダムとエバ(イブ)との失楽園物語(中略)、ノアの方舟物語(中略)、信仰の父アブラハムの物語。
 
アブラハムの子イサク、イサクの子、ヤコブ。このヤコブが天使と取っ組み合いをして勝利します。そうして与えられた名前がイスラエル。ヤコブ(イスラエル)には12人の子供がいました。末っ子のヨハネはヤコブに溺愛されました。ところがヨハネは兄たちに恨まれ、通りかかった商隊に売られてしまうのです。ヤコブは悲しみますが、もはや探す術もありません。
 
あるときヤコブとその子供たちが住んでいる土地で飢饉が起こります。そしてヤコブの家族は豊潤なエジプトに移り住むことを決意するのです。そうしてヤコブの家族がエジプトで見たものはエジプト王、ファラオの臣相となった末っ子ヨハネの姿でした。ヨハネの功績によってヤコブの家族は高待遇で迎え入れられたのでした。
 
やがて時が過ぎ、エジプトにはヤコブ(イスラエル)の12人の子孫が増えました。エジプトの王ファラオも世代交代していったのですが、そうしていく過程のなかで、ヨハネの功績は
忘れ去られ、ヤコブ(イスラエル)の子孫を奴隷として扱う様になっていきました。
奴隷と化したイスラエルの民の苦しみは如何ばかりであったか、その祈りは神に聞かれ、エジプトにモーセ(=モーゼ、モーゼス)が生まれます。モーセもヨハネ同様エジプトの臣相となります。神はイスラエルの民を奴隷から解放するために、モーセを遣わします。あらゆる災害をエジプトに起こしファラオを揺さぶりますが、ファラオの心はかたくなままです。最後の災いとは、神がエジプトの長子(長男)を皆殺しにするという災いです。
 
神がイスラエルの民に告げられたのは「イスラエルの民には危害を及ぼさない。イスラエルの民だとわかるように、家の入口の柱と鴨居に羊の血を塗りなさい」ということです。その標し、その家には災いを及ぼさないという約束です。その家には災いが過ぎて通る。=過ぎ越しと言います。
 
神がエジプトの長子(長男)を皆殺しにする夜。寝てはいけない。起きていて神の業を見ていなさい。(大晦日)
翌朝、自らの長子(長男)を殺されたエジプトの王ファラオはついに奴隷解放を約束をするのです。
 
イスラエルの民の奴隷解放の時、これが正月なのです。
 
そして、日本にあるあらゆる言い伝えが酷似してもいるのです。
 
この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。(出エジプト記12:2)
 
紀元前1250年頃のお話です。

久々の運転

ユダヤ人の指導者「ニコデモ」

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ヨハネによる福音書(口語訳)  3:1~
 
------- 夜中にこそこそと会いに来るユダヤの指導者と救いの道の奥義 -------
 
パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。
 
------- イエスを擁護するユダヤの指導者 -------
 
7:41
ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。こうして、群衆の間にイエスのことで分争が生じた。
彼らのうちのある人々は、イエスを捕えようと思ったが、だれひとり手をかける者はなかった。さて、下役どもが祭司長たちやパリサイ人たちのところに帰ってきたので、彼らはその下役どもに言った、「なぜ、あの人を連れてこなかったのか」。下役どもは答えた、「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」。パリサイ人たちが彼らに答えた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。役人たちやパリサイ人たちの中で、ひとりでも彼を信じた者があっただろうか。律法をわきまえないこの群衆は、のろわれている」。
彼らの中のひとりで、以前にイエスに会いにきたことのあるニコデモが、彼らに言った、
「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう」。そして、人々はおのおの家に帰って行った。
 
------- イエスの死体を丁寧に扱うユダヤの指導者 -------
 
19:38
そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。イエスが十字架にかけられた所には、一つの園があり、そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。
 
ニコデモによる福音書というものがあるらしいが読んだことはない。
おそらくグノーシス主義の創作として扱われているかと思う。
 

Suzume

 
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Hakuchou1
 
なんだか可愛い。
飛ぶ鳥の喩え。
 
 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。マタイによる福音書 6章25節から34節

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