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ヨハネの黙示録666の正体?(個人的解釈)

牧師と一緒に川に入り、イエス・キリストの御名によって全身浸水のバプテスマ(洗礼)を受けたのが昭和五十六年(西暦1981年)のこと。

オカルト映画「オーメン」に出てくる獣(悪霊)の数字666が気になってヨハネの黙示録の13章を読んでみたが、聖書が文語約だったこともあり難解だった。

牧師に直接「666の正体とはなんなんですか?」と聞いてはみたが、「一般的にはローマの皇帝ネロだとされていますが、はっきりとは分からない」という答えだったと記憶している。
 
<ヨハネの黙示録 第13章1節~>
 
わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまのようで、その口はししの口のようであった。
 
これは旧約聖書の預言の書ダニエル書に出てくる獣と同じであり、十本の角、七つの頭はそれぞれ王や国を意味する。ダニエル書にある、しし、くま、ひょうとは、それぞれイスラエルを蹂躙する帝国であり、バビロン、メディア・ペルシャ、ギリシャ(マケドニア)であり、それぞれの特徴を含む角が十本、頭が七つある獣とはローマ帝国である
 
龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
 
龍とは古き蛇、悪魔サタンのことである。悪魔サタンはローマ帝国に悪魔の権威を与えたと解せる。
 
その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人人は驚きおそれて、その獣に従い、また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
 
頭とは王である。死ぬほどの傷を受けたとあるが、これはキリスト教迫害をしてきたローマ皇帝ネロ大帝のことと言われている。ネロ大帝は自殺したのだが、各地で復活した偽ネロの噂があったらしい。また後にキリスト教を迫害する皇帝ドミテァヌスがネロの生まれ変わりであると解釈しているところもある。
 
この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
 
皇帝ドミテァヌスは自ら「神」と称し拝ませた。聖書でいう四十二か月とは三年半であり、42ヶ月×30日=1260日である。1日は1年と数えられることから、1260年とも考えられる。これはまた別途考察する。 
 
そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威が与えられた。
 
そしてこれをドミテァヌス帝と考える。信教の自由を許しつつ、ローマ皇帝の権威を振るったに違いない。
 
地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
 
ほふられた小羊とは十字架にかかったイエス・キリストのことである。イエス・キリストの御名による水と霊のバプテスマを受けると、小羊のいのちの書にその名が記される。三位一体の名では小羊のいのちの書に記されることはない。救いが無いということであり、神の活ける印とはならないということである。
 
耳のある者は、聞くがよい。とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
 
つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。とはイエスの教えである。
つるぎで報復してはならない。だから忍耐が必要なのである。
 
わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
 
私はこの二つの角がある小羊が何か暫くわからなかったが、小羊とは生贄でありイエス・キリストである。そして角とは攻撃するための武器であり、また王でもある。他にはこういう解釈を見かけないが、このことを考えるとイエスに似た、あるいはイエスの証しをもちつつある二人の王を考えたのだ。それが東西ローマに分割された後の東の皇帝リキニウスと西の皇コンスタンティヌス1世と私は解釈した。

二人はミラノ勅令で信教の自由を認め、消極的にではあるがキリスト教を許可するのである。先の皇帝ネロやドミテァヌスからは考えられないのである。これが二つの角がある小羊である。

そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
 
東西ローマの皇帝はそれぞれ権威があったので、先の皇帝と同じような力があったが、偶像崇拝も残っていただろう。 

さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
コンスタンティヌス帝のあとにはユリアス帝というのが居た。この皇帝は再びキリスト教を迫害し、ミトラ教を取り入れ偶像崇拝を行わせた。いわゆる背教の皇帝である。
 
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、
物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
 
これも実は悩んだのだが、現代におけるバーコードの事だともマイクロチップのことだとも言われているが私は違うと考えている。この後の皇帝テオドシウス1世は北からのゲルマン民族の侵略を恐れ国内のまとまり、秩序を保つため絶対にキリスト教徒ではならないという積極的なキリスト教策をとった。民衆は必ずキリスト教徒でなくてはならなかった。
 
刻印とは本来、神の証しであり、イエス・キリストの御名によるバプテスマのことであるが、この時代の刻印はニカラ公会議で定められた三位一体の神、つまり「父と子と聖霊の御名」によるバプテスマと受霊であり、イエス・キリストのそれではなかったのである。つまりそれこそが獣の刻印であり、反キリスト、偽キリストの刻印なのである。
 
ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
 
一般に古代ユダヤの秘術カバラのゲマトリアによりネロの名前を数値化すると666となるとしている。その解釈でも良いのかもしれない。が、私はその一致性を証言出来ないが、同じようにアンチキリスト、アンチイエスのキーワードが666になるのだろうと思っている。
すなわち、ローマ皇帝、ローマ法王、教皇、ニカラ、ニカイア、三位一体、父と子と聖霊の御名など。

ネロであってもローマ法王であっても、アンチキリスト、アンチイエスという意味では大差はないということ。
その数字とは、人間をさすということなので、コンスタンティヌス帝も疑っただが、おなじゲマトリアの法則で計算しても666にはならなかった。
 
ヨハネの黙示録がかかれた時期はドミティアヌス帝の時世。キリスト教迫害の真っ只中であった。キリスト教迫害時代の出来事とキリスト教徒へ希望を持たせるための記述が多いと考えている。多いと考えているのであって、それだけではなく終末の有り様も書かれている。
13章はローマ帝国とローマ皇帝と聖徒の関わりの記述であり、666も然りである。この当時のこととして完結しているのであり666を現代のことに置き換えていたずらに恐怖心を煽るのは違うのではないかということである。むしろ、救われていない人が気にしなければならないのはハルマゲドンであり、千年王国が終わった後のゴク・マゴクの戦いであると私は考える。
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私の望みはより多くの人が、できるだけ早く、イエス・キリストの御名による全身浸礼のバプテスマを受け、洗足式を受け、聖霊を受け、小羊のいのちの書にその名が記されるようになって欲しいと思う。異邦人(ユダヤ人以外)が救われる数は限らており、その数が満つれば終わりが来るとあるゆえに。

本当に時が近いと思うからである。

知る人ぞ知る、現実世界では彼の金融王や石油王、偽ユダヤ人の動きが激しくなっているからでもある。

 

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