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お悔やみ欄と戦争と終戦

新聞のお悔やみ欄を見るようになったのは、同世代の人たちの自殺が多くなったからだと思う。40代、50代、更にそれ以下であると、何か有ったんだろうなと余計な推測する。会社のイントラネットの訃報欄に、御尊父、御母堂ではなく、本人として掲載されることもまれにある。今年は同じ職場の50代の人が癌で亡くなった。人間ドックで大腸癌が見つかり即手術、その後転移がみつかり、2度ほど切除のための手術したが、3度目の転移で手術することを止めた。「僕はもうダメなのは分かっているんですよ、これ以上臓器を取っても助からない」。職場で自ら抗がん剤を投与しながら仕事をこなし、帰らぬ人となった。

新聞のお悔やみ欄を見て、名前と年齢を確かめ、80代、90代となれば、まぁ大往生なのだろうとなぁと思いあまり気にしていなかった。しかしながら、先の大戦の生き証人がこの世代なのだろうと思うと、死ぬ前にお願いしたいことはある。第2次世界大戦、或いは太平洋戦争、或いは大東亜戦争、日中戦争、支那事変の世代として、様々な立場から経験した「事実」を残しておいて欲しいと願うのである。脚色でも批判でもなく「真実」を。

祖父は、毎日黒塗りの車で部下に送り迎えされていたらしく、それなりに偉かったらしい。しかしながら自分の階級も戦争の事も殆ど口にしなかった。その祖父が「支那事変従軍記章」という銅メダルの勲章を持っていたことから、もしかしたら中国にも渡っていたのかもしれない。が、詳しい事は何も話さずこの世を去った。

そんな祖父でも語ったことはあった。終戦間際は今のひたちなか市海浜公園付近(訓練のための飛行場であり、後にアメリカ軍に接収された。私が子供の頃はアメリカ軍による射爆訓練が行われており、爆撃の音が身近に聞こえていた)に勤めていたらしい。特攻隊に行くために若い兵士が飛行訓練をしていた。訓練をするための飛行機はいつ落ちてもおかしくは無いハリボテ。度々離陸後空中分解して墜落した。祖父は少なくとも2機が落ちたのを自らの目で見た。無駄に若い命を失った。それが祖父から聞いた唯一の戦争の一コマ。

その反面、祖母は良く話をした。

家の周りを何度も低空で旋回して行く飛行機があったので表に出てみると、飛行機を操縦しているのは間違いなく甥っ子で、こちらを向いて敬礼をしていた。私も敬礼をすると、それを確認したように飛び去って行った。(その甥っ子は特攻で戦死)

終戦間際、飛行機の音がしたので、屋根に登って手を振ると、大編隊全てが米軍機だった。米軍機は「○月X日に空襲をするので、避難されたし」といった空襲予告のビラを散布していった。そのビラが撒かれると日本兵が回収に来たが、予告通りB29の空襲があり、焼夷弾で家は全焼した。祖父はすぐさま自転車で軍部に向かったそうだが、祖母は家財を見捨て、幼児一人の手を引き、もう一人をおぶって炎の中を逃げ惑ったそうだ。八方塞りとなり、いよいよ観念したところで一人の兵隊さんが消火しながらやってきて祖母を誘導し助けてくれたそうだ。

先日、息子に「昔、日本とアメリカが戦争して日本が負けちゃったんでしょ?」と聞かれた。イデオロギーやプロパガンダ、脚色は抜きにして、何が事実か、何故か、戦争の本質とは何なのかということを出来る限り正しく子供達に伝え残したいと思う。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

えんさんのこの話を聞いて,私も思い出すことがありました。
 私の祖父は霞ヶ浦練兵場の指導教官だったそうです。
祖父は戦死ではなく,私が生まれる前にバイク事故でなくなったそうですが祖父の着ていた立派な外套といくつかの勲章が残っていました。戦争に行く兵士をどんな心持ちで指導していたのか,同じように何かを教える職業についた私は,時折考えることがあります。
 今でも多くの人が「お世話になったので」と,祖父の命日に尋ねてきてくれるのを見ると,祖父の人柄も何となく伺えます。
 また,よく遊びに来る友人のお父さんは特攻隊員としてそこに召集され,訓練を受けている途中で終戦を迎えたということでした。
特攻隊員として戦場に向かっていたら,友人はいませんでしたね。
 原爆の投下にしても米国側の人の見方はまた違います。華やかな北京オリンピックの裏では人がたくさん死んでしまうような戦いが起こっている。
 何が正しくて,どうすることが最善なのか,平和はどうしたら訪れるのかなど,考えることができる次世代の大人を,私たち大人が育てなくてはいけませんね。

まさの祖父は、客船の一等航海士で七つの海を航海していたが、戦争中は客船が輸送船として軍部に使われ輸送船の航海士をしていたらしい。世界を見ていた人だったので、戦争中家族を集めて「日本は負ける」と予告し心構えを語ったそうです。父は東京大空襲で自転車の後ろに何故か布団をくくり逃げたそうです。
悲惨な話を聞きました。戦争はただの殺し合いだと言っていた・・・・

えこさん、どうもです。

えこさんのお祖父さんは素晴らしい指導者だったのだろうなと思います。なんとなくですが、シンドラーを思い出しました。戦時下にあっても正しく考えることが出来たのだろうと思います。

>何が正しくて,どうすることが最善なのか,平和はどうしたら訪れるのかなど,考えることができる次世代の大人を,私たち大人が育てなくてはいけませんね。

正にその通りなのだと思います。


まささん、どうもです。

>世界を見ていた人だったので、戦争中家族を集めて「日本は負ける」と予告し心構えを語ったそうです。

まささんとお付き合いして何年だろう。うーん、散々上司の悪口と愚痴を聞いてもらったのがあの頃だから.....12、3年くらい前ですよ。^^でもこのことは初耳です。

世界の海を渡り世界を見てきた人であるならば、列強各国の国力、日本という島国の特異性は充分承知していたのでしょうね。

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