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2005年8月

今年の夏キャンプ

0017  今年のキャンプは「なかよしキャンプグラウンド」ということろに行ってきた。茨城県と栃木県の県境に近い茨城県側で、那珂川と支流の相川が交わる自然豊かなところだ。カヌーやカヤックのスクールがある。息子が中耳炎でなければ乗ってみたかったが今回は遠慮した。

02妹家族と総勢7人で3つのテントを張った。1年ぶりのオープン。「どうやって作ったのだったかなぁ」と思い出しながらの設営。炭に火をつけ、昨日から漬込んだお肉を乗せた。私が好きなラムも無論忘れない。

 

 

 

0013 ここが良かったと思えたのはなによりこの小川。清流の中に小魚がたくさん見える。子供たちは大喜びで川遊びを楽しんだ。

 私は義弟と一緒に釣竿を持ち、少しだけ上流へ。釣りも久しぶり。

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成果はごらんの通り。ウグイ7匹。最初何の魚かわからなかったが、ご近所にテントを張っていた関西弁の男性が「これはウグイですね」と教えてくれた。(^^; 雑食の川魚は焼いただけでは美味くない。基本的に臭いから、ワタを取って天ぷらというのが食べるのには一番手っ取り早い。今回は天ぷらセットがなかったのでしかたなく川へ戻した。

(残念ながらここで私はお通夜へ......。他のみんなは突如の雷雨に遭遇。川が増水し大変だったらしい)

0021 翌朝。

なぜか2日目の朝が飯盒炊飯というのが我が家の恒例になっている。今年は義弟が挑戦。大変おいしく炊けた。

 息子もマジレンジャーふりかけでおかわり。大変ご満悦。

今年の夏はたった一回のイベントだったが、最高の思い出できた。一番良い場所をとっておいてくれたキャンプサイトのみなさん。どうもありがとう。

彼の死

 もう15年くらい前だろうか、筒井康孝さんが書いた「ラルゴ」という小説を読んだ。

 瞬間移動する遊牧民と出会った主人公は、供に瞬間移動をしながら遊牧民達と生活をする。遊牧民達の戦争にも参加する。その中に若い娘がいて恋をするが、主人公は自分の故郷に帰ることになる。大学で教鞭を取った後、年老いた主人公は遊牧民の若い娘が忘れられずに旅に出る。が、娘と合う事が出来ず帰らぬ人となる。

 簡単に言ってしまうとこんな感じだったと思う。

 コメディータッチのおちゃらけたSFばかりしか書かないのかと思っていたのだが、この小説だけは異色で痛く感動した。

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 キャンプに行く前日、訃報が届いた。

 Tさんとの出会いは5、6年前。栃木県小山市にある生涯学習センターだったと思う。そこにドイツ製のベーゼンドルファーという良いピアノがあるので、「いたずら弾きして来よう」という某フォーラムの企画だったと思う。彼の第一印象はちょっと堅めの白髪の紳士。

 いずれいろいろな場所でTさんと出会う事になり、親しくお付き合いさせていただいた。彼がオゾン計測を研究するT大学の教授であるということは間接的にお聞きした。

 Tさんはピアノをちゃんと習ったわけではなく、たまたま家にピアノがあったので独学でいたずら弾きをしていたという。そういうところは私にとてもに似ている。大変なバッハ好きだったが、ロマン派の作曲家の演奏をしても遜色がない。楽譜に忠実に弾く事から、演奏者としての資質も持っていたのだろう。バッハの数理的な曲を弾いても大変にロマンチックに聞こえる。作曲者の意図していることを熟知して弾いているようだった。私の結婚式の時はバッハがその妻、アンナに送ったとされる愛情深い曲を演奏してくれた。

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 暫くお会い出来ていなかったTさんからメールをいただいた。「胃癌=死の病」という内容のものだった。60歳になったとも書かれていた。

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 訃報を聞いたとき、とても悲しく、寂しく、悔しく、つらかった。しかし、彼自身が自分の死期を察知してのことなのか、ここ数年の彼の行動は本当に好きな事を模索し、実現していけたのだと思う。

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 ラルゴは娘に再会できなかったけれど、Tさんの恋人であった「バッハのピアノ」の真髄には出会えたのでたのであろうか。そんなことがちょっと気になる。

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 ご冥福をお祈りいたします。Tさん。

 そして私も悔いの無い人生を送りたい。

恒例の夏キャンプ

Scph0000 一人用の寝袋とマット、ダンロップの二人用テント、ちょっとの着替えと食料、プリムスの小さなランタン、と鍋セット。

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これをオートバイに積んでフラフラと出かけるのが好きだった。荷物をコンパクトにするというのが重要で、プリムスの鍋セットがなかなか優れものだった。鍋、ヤカン、フライパン、ガスコンロがセットになり、全てが鍋の中に納まってしまう。今でも使っているお気に入りの一つ。

 

20021 やがてこんなのと一緒に行くようになり、人数が増え、キャンプセットはどんどん大きくなっていった。

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明日は恒例の夏キャンプ。それはそれで楽しみなのだが、またふらふらと一人旅をしてみたいと思うのは贅沢なのだろうか。

中耳炎

 出張から戻ったら息子が中耳炎にかかっていた。

 普段は余程の事が無い限り「痛い」等と言わない息子が、その朝「耳が痛い」と泣きながら訴える。私も子供の頃何度も中耳炎になったので、もしやと思った。耳鼻科医に行ってみると、案の定「中耳炎です」との事だった。カメラのモニター画面には充血する鼓膜が写し出された。即座に鼓膜を切開した。

 息子は痛がり大騒ぎをした。こういう時親はつらいし、自らが代わってあげたいと願うが仕方が無い。

 この夏休みは病院通いになりそうだ。

川越線 的場駅

川越線の的場駅というところへ行ってきた。単線の小さな駅だけれど、何とも言えない旅愁に駆られたし、中断している鉄道模型のレイアウト作成を再びやってみようかという思いにも駆られた。

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(左:的場駅駅舎 中央:高麗川方 右:始発の下り列車)

八高線

Haijima209初めて八高線の列車に乗った。

立川から青梅線で拝島まで行き、八高線に乗り換えた。「ここはまだ東京だよな....」と疑問に思えるローカルな雰囲気が良い。

線路のすぐ傍まで草ぼうぼうで木の枝が列車と接触しそうな、何か密林の中を走っているかのような所もあった。

 写真は拝島駅にて。留置されているのは川越行きの209系(?)。写真を撮影後、横田基地から輸送機が飛び立っていった。

 いずれ、更にローカルな東京の路線を乗車してみたい。

川越電車区103系

kawagoe103 川越電車区に行ってきた。懐かしい列車が留置されていた。かつて山手線を走っていた車両なのだろう。後に八高線も走っていたかもしれない。懐かしいので思わず携帯電話で写真を撮った。103系の4両編成。

それにしても真夏の川越は滅茶苦茶熱い。本当は喜多院にも行きたがったが、くじけた。

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